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超えられたかな!?ジェネレーションギャップ ~NPOインターンシップの報告~ パート4


~前回の続き~


渋谷 それでは、質問や意見交換の時間にしたいと思います。質問はありますか。

学生さん 今日の話を聞いて思い出したんですけど、自分が地元の中学に通っていた時におそらく脳性マヒの人がいました。同じクラスではなく特別支援クラスだったんですけど、そういう人たちがいたっていうだけで名前もわからないし、一緒の授業が一切なかったんですよ。今だからそうなのか、昔からそうなのかわからないんですけど、もっと関わる機会があればよかったと思いますね。

渋谷 前にバイトで来ていた人が、小学生の時に障害のある同級生が3年生までは同じクラスにいて、4年生から特殊学級に移ってしまったらしいです。それで「やっぱりあの子は違うんだ」と思ったと聞きますね。やっぱり教育の中で分けられてしまうということが怖いですね。同じ学校にいるのであれば関わりをもって、きちっと付き合っていかないといけないですね。せっかく同じ学校にいるのだから。

学生さん ちょっといいですか。渋谷さんが活動しているNPOの障害者自立支援センターで親御さんから子供を普通の学校に入れたいんだけど特別支援学校を勧められて、でもどうしても普通学校に入れたいという質問がよく来るのかということと、あと子供たちが差別じゃないけど問題がある・・・例えばマンツーマンとか・・・もっと学校が改善していくべき等、何か働きかける活動をしているのかをお聞きしたいと思っています。

渋谷 まず、普通の学校に入れたという質問があるかないかということですけど残念ながらとても少ないです。今の親御さんも養護学校に入れるのが安心だというのがあるみたいですね。まぁ学校が荒れていますからね、そういう要因もあるんでしょうけど。先ほど教育相談の話がありましたけど、実は横浜市に5か所ですか、地域療育センターという所があります。赤ちゃんが生まれると3か月検診、6か月検診がありますよね。その検診で障害がある可能性があると療育センターを勧められるわけですね。そこでもう一般のルートから外れてしまって養護学校を勧められる。それも要因の一つです。
あともうひとつの質問について、教育委員会ね、話し合う機会が何度もあるんですけど、僕はこれではだめだと言い続けている。でも全く変わらないです。変わらないからこっちから養護学校に入っていくしかないなぁと考えていまして。養護学校で高等部の子供たちにもっと具体的に何をしたいか聞いたことがありまして、そうすると一人で外出したいとか一人で通学したいとかの回答が返ってくることが多いですね。それを支援するようなカリキュラムを作って、それを養護学校の先生たちの会議でインフォメーションする機会があったんですけど、問い合わせが一件だけしかありませんでした。子どもたちはやりたいんですけど、お父さんやお母さんや先生にとって勇気がいるというもので、できれば自分の目の届く範囲で安全を確認したいというのがあるんでしょうね。グループホームにいる方のお父さん、お母さんもそうなんでしょうけど。教育福祉関係者が、親のそういう思いを超える支援をしなきゃいけないです。お父さん、お母さんが自然にこの思いを超えていくのは大変なことですし。それをどう制すかが障害福祉を仕事とする人たちの仕事なのかもしれません。

学生さん 私はずっと普通学校にいたので養護学校の状況がわからないのでなかなか知らないんですけど、数年前に横浜市立盲学校に行ったことがありました。いま問題になっていることのひとつは特別学校というくくりになったことで視覚障害者だけじゃなくなった。もちろん、前から重複障害が多かった。それがイコール視覚障害だけしかいないとか、発達障害、知的障害のないお子さんたちの教育の機会を奪っている、ということでしょうか。言い方はすごくあれなんですけど、そうゆう話をしていて、一方でその子たちが普通校にいかれるかというと、行かれないから養護学校にいるわけで、一つの障害とか彼らの勉強自体を考えたときに、その子供の可能性っていうのが学校選びにすごく左右されるんだなって思って、だから幼稚園から小学校に上るときに聞くのは、とくに視覚のお子さん、本当に視覚にしか障害がないという場合において小学校から盲学校へ行くのか、小学校で一般校にいくのかは人生の分かれ道になってしまっている。もっと選択があって中立的なものがないといけないんじゃないかなっていうのは思っていたので今の話を聞いてそれは他の障害でも言えるんじゃないかと思いました。

渋谷 そうですね。きちっとした授業が行われていないというのもありますね。
それでは、今日はこのへんで終わります。

~終わり~

特別支援学校についての回はこれで終わりです。

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# by fukushi-kankyou14 | 2012-02-27 15:53 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

超えられたかな!?ジェネレーションギャップ ~NPOインターンシップの報告~ パート3

~先週からの続き~

渋谷 障害がある人が普通校に通うのは非常に厳しいという話をしました。その一方で養護学校はどうかというと、象徴的だと思うんだけど上菅田特別支援学校のホームページのトップですが、このデザインですね。小学校のホームページだったらわかります。でも高校も入るんですよね。このデザインはどうなのよ?と。まず、僕自身養護学校の卒業生になるんですけど、雰囲気になじむんだろうなぁと。今考えると緊張感がないような気がするんですよね。実際に今度行ってもらいたいと思います。その中で、なぜか先生だけが生き生きしている。もしかしたら福祉施設もそうかもしれないけどね。
よく小学校低学年の教室には紙で作った花が飾ってあって、授業で描いた絵を貼ってあることがあるじゃないですか。同じような雰囲気なんです。あの雰囲気がずっと続く。小学校なのか高等部なのか表示がなければわからないんですよ。何回か授業を見学させてもらったこともあるんです。高等部3年生ですから、高校3年生ですよね。社会見学に報告会っていうのがあって、ある生徒が初めて地下鉄で一人で出掛けたということを発表していました。高校3年生で初めて一人でという経験がない人も珍しくはないので、ちょっといいなと思って聞いてたんです。ところがですね、担任の先生が聞いていて生徒全員が拍手をしまして、ピンクのチョークで黒板に花丸を書いていたわけですよ。高校生ですよ?一般の高校だったら先生はボコボコにされますよね。どうもこの雰囲気、学校じゃないなーと考えちゃうんですよ。一番近いのはデイサービスですね。あの、もっと極端に言って申し訳ないんですが、保育園。そういった環境で12年間育っていくわけですね。しかも家と学校の往復という世界で。あともう一つ印象的なことがあって、放課後、社会科で使う教室を見せてもらったら、おもちゃのお金と紙で作った魚があるんですよ。なんとなく想像はつくでしょう。

学生さん 高校生で、ですか?

渋谷 高校生、買い物学習だと思うんですよ。一般の高校生ではどうかというと、バイトして、お金を稼いだりするわけだよね。昨日内田さんが、幼い頃から障害者が生活体験を積んで自分の生活にリアリティを持つことが難しいと言っていましたね。その背景にはこういうことがあるんですね。これ、自責の念を込めて言わなきゃと思うんですけど、作業所にいても同じですよね。職員さんが全部プログラムを組み立ててくれますし、運営もしてくれますし、その枠にいれば安全だし、痛い目にも怖い目にもあうことはない。でも生活するには危機管理が必要ですね。リスク管理といいますか。という僕も危機管理を会員にやらせていないかもしれないし、任せていないかもしれない。自己反省をしなくてはならない。そんなような状況で、僕は教育の場で障害者と健常者とを分けることには反対なんですね。昨日の篠原さんのように日常生活の中にぐちゃぐちゃと一緒にいたいですね。ただ一緒にいたいなと、喧嘩をして車いすをひっくり返したり、怪我をすることがあるかもしれない。でも、そこをクリアしないと本当の関係ってできない。ここの作業所でも毎年、お願いをされて近くの小学校と交流会をするんですが、本当にみんないい子で整然としているんですね。先生の号令ひとつで動くという中で、子どもたちは僕たちに本当の顔をみせてくれないんですよ。それじゃあ本当の関係はできないんですね。もう何年も20年以上続いているんだけど、一回だけ崩れたというか、はじけたことがあって、僕の電動車いすってもう一人乗せることができるんですね。そのときは時間があったので乗せてあげたら、たちまち順番待ちができて30人待ちになりまして、担任の先生が慌ててました。でも、そんな関係でありたいなと思うんですね。

畑 ちょっといいですか?自分もそういう経験はあるのですが子供たちは電動車いすにのっている本人よりも電動車いすに興味があるんですよ。そのへんをちゃんと見極めないと・・・。これは自分じゃなくて電動車いすなんだなとそう考えました。それと関係することが今あったので言ってみました。そのへんを見極めないといけませんね。

乙幡 これはシニアカーというバイクなんですけど、子どもたちはバイクバイク!車みたい!乗っていいの?と言ってはしゃぐんですよ。でもバイクじゃないんだよ、車イスなんだよと言うと次があるのかなと思って優しく言うように心がけています。そのようにしながら日々団地のほうに行っています。

渋谷 よく指さして動いてる!って言うもんね。

乙幡 普段だと病院に行ったり、遊びに行ったりするときは歩いていくのに、ほとんど団地の人はごみを出しに行くときに会うくらいだからこの車いすでしか動けない人と思われている。

渋谷 畑さんも養護学校にいられましたよね。何かありますか。

畑 特にありませんね。今聞いている部分で既に出ています。まぁ、そうですね。中学までいて、高校は道路を隔てて、隣のところにあったのですが。まぁ、自分の場合はマンツーマンというよりは各クラスに細かく分かれていて、その時間帯にやることに対して理解できる人、そうでない人にわかれてました。だから、今言っていた保育園やデイサービス、そこの学校の特色があると思います。なので、自分のところは結構学ぶことが好きだったので、自分自身は授業や科目が役に立っているということが非常にありました。ただ、やっぱり人間関係とかですね。とくに外との社会の繋がりに疎いんですよ。何も知らないので、もちろん色んなハンディキャップの人がいるんですよ。軽いハンディキャップの人はタクシーで友達と外出できたりするんですけど、重くなってくるとなかなかそうはいかない。だからこの部分で社会との繋がりはかわってくるのかな。普通校に通ってて、途中から養護学校に通ってくる人、逆に中学までは養護学校にいって途中から普通校に行く人など、そういう状況の中でここはどう話せばいいか難しいんですけど、小1から小3までは下肢不自由の重度の人達との関わりが多かったんですね。いろいろな学級というか、病棟があったんですけど最初の3年間は重度の病棟にいました。4年生になったとき、そこでは一般病棟と呼ばれていたんですけど少し動ける人たちや検診して動けないけどベッドで横になって授業を受ける人たちがメインの病棟に移りました。そのときに自分の体調の変化というか、新しいところに順応しなきゃならないことが初めてだったので大変でしたね。今までは這って生活していたのに、初めて片手で動かせる車いすに乗るということで、車イスの生活に慣れるというのは大変でしたね。まして、軽い障害の人達と過ごすようになってからイジメがあるようになりましたね。お前はどうのこうのという小さい物からいろいろありましたけど。でもですね、自分の場合はこうやってべらべら話したりすることがいろいろ考えたりすることができましたので、ある意味自分の範囲の人達っていうか、共通の趣味を持っている人たち、誰でもそうですけど友人関係とかそういう関わりが多くなっていきました。小学校4年から中学、高校でもそうでしたけど、でもある時考えた部分は、やっぱり色んなハンディキャップを持っている人たちがいるので、そういったときに自分はもちろん、こう考えたりすることができるわけで、ずっとそういう人たちだけでいればいいんだと思ったりするわけで、そのところにじぶんの力点をおいてしまうんだけど、ちょっと立ち止まって考えると自分は小さい時に重度の所にいたんだな。あるいは、言語障害のある人の言葉を音はよく聞きとれてたなと色んな部分の状況が出てくるわけですね。年をとればとるほど。そして不思議なことに、なぜか知らないんですけどこの歳になって自立支援センターもそうなんですけど、昔3年間だけ一緒にというか、そういう人たちと再び関わりを持つようになったときに、また余計に考えるわけですよ。でもそういう考えること、考えられることを与えられた人たちにとってはそういう部分も必要かなと、もちろんどう考えるかはその人の任されたことですけど、立ち止まって考えることもあるし。なんかどう言ったらいいんですかね。それをどう受け止めてどう考えていくかっていうことは、同じようなことをした立場の人がいたら大事だなって思っていますね。とくに地域の生活とか考えると、よけいに思いますね。

渋谷 それまで障害者との関わりはなかったんですね。

畑  本当になかったんです。

渋谷 私たちの話はこれで終わりにします。


来週に続く・・・。

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# by fukushi-kankyou14 | 2012-02-06 14:39 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

超えられたかな!?ジェネレーションギャップ ~NPOインターンシップの報告~ パート2

~先週からの続き~

渋谷 それと、これに教育基本法ではなく学校教育法というものがあります。資料にありますけど、第八章特別支援教育を、金井さん、読んでくれますか?

金井 第八章 特別支援学校
第七十二条 特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授ける目的とする。
第七十三条 特別支援校においては、文部科学大臣の定めるところにより、前条に規定する者に対する教育のうち当該学校が行うものを明らかにするものとする。
第七十四条 特別支援学校においては、第七十二条に規定する目的を実現するための教育を行うほか、幼稚園、小学校、中学校、高等学校又は中等教育学校の要請に応じて、第八十一条第一項に規定する幼児、児童又は生徒の教育に関し必要な助言又は援助を行うよう努めるものとする。
第七十五条 第七十二条に規定する視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者の障害の程度は、政令で定める。

渋谷 この政令がとても大事なことで、国立特別支援教育総合研究所という資料の二枚目に表がありますね。金井さん、これちょっと読んでくれる?

金井 表4 特別支援学校の対象となる障害の程度
視覚障害者 両眼の視力がおおむね0.3未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、拡大鏡の使用によっても通常の文字、図形等の視覚による認識が不可能又は著しく困難な程度のもの。
聴覚障害者 両耳の聴力レベルがおおむね60デジベル以上のもののうち、補聴器等の使用によっても通常の話声を理解することが不可能又は著しく困難な程度のもの。
知的障害者 1、知的発達の停滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの。
2、知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの。
肢体不自由 1、肢体不自由の状態が補装具の使用によっても歩行、筆記等日常生活における基本的な動作が不可能又は困難な程度のもの。
2、肢体不自由の状態が前号に掲げる程度に達しないもののうち、常時の医学的観察指導を必要とする程度のもの。
病弱者 1、慢性の呼吸器疾患、腎臓疾患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態が継続して医療又は生活規制を必要とする程度のもの。
2、身体虚弱の状態が継続して生活規制を必要とする程度のもの。

渋谷 ありがとうございます。あからさまにこういった子たちが普通校に行ってはいけないとは書いてないんだよね。ただ、小学校に入学する時、障害のある子は「就学相談」というのを受けなければならず、その時に「特別支援教育」の方に行けと言われる根拠になります。これは差別ですよね。こういうことが現在も行われています。障害によって、しかも程度によっていける学校を決めるとしたら障害者にとって差別ですよね。こういうことが現在も行われています。昨日お話しした篠原さんは、この教育相談に臨床心理の立場から関わっていました。普通学校に行くか養護学校に行くか自分が振り分けていた、こういった自責の念から、あれほど分けることを強烈に批判しているんでしょうね。その意味で自己批判かもしれませんね。障害のある子は分けられているんですよね。Aさんは教育相談にいったんですか?

学生Aさん 就学相談は行きました。太陽はどこから昇りますか?とか、一から十まで数えてみて。そういう質問みたいなことを聞かれました。優しいお姉さんがいて、その間に親はほかの部屋で話していて私は楽しい感じで終わったんですけど、親は結構言われているみたいでした。それが多分知能の判断だと思うんですけど私は知らなくて色んなことを話していたみたいです。「よく喋る子ですね」って。そのあと健康診断で一階のところでお医者さんがいて、診てもらって…という記憶がありますね。

渋谷 お母さん結構頑張ったんだね。

学生Aさん はい、うちは普通校に入れようというのがあってそのために色々訓練して、久里浜に専門の施設があって。そこに何回か行って、うちはもともとそういう方針だったので。

渋谷 学校に行く場合、ここではお父さんとお母さんがかなり頑張って特別支援学校や特別支援学級に行きなさいという説得をはねのけなければならないですね。

学生Aさん 東神奈川にある弱視学級に通級していました。そこで妥協策としてうまくやっていました。

渋谷 そこでお父さん、お母さんが頑張って頑張って、普通に行かれても入ってからが大変です。実は金井さんが昨年度まで脳性マヒの中学生の女の子の学校支援をやっていたんです。これは横浜市の制度かな?義務教育に通う場合、支援する人を付けますよという制度、この制度を使う場合、その支援となる人を生徒や家族が自分で探さなければならないんですね。学校や教育委員会にその責任がないんですよ。一日いくらだっけ?

金井 2時間で1000円です。

渋谷 6時間の授業で3000円。めちゃくちゃ安い。普通学校にいくと、まぁそういった制度があります。一方で特別支援学校はどうかというと、普段から生徒と先生がマンツーマンでやります。ですから、養護学校を運営していくには普通学校の予算の10倍かかると言われています。その予算を普通学校に回せば統合教育が進んで行くんじゃないかと思うんですが、文科省は頑としてそれをしません。じゃあそれだけお金をかけてマンツーマンで先生がいて、とても素晴らしい空間ができていると思うかもしれませんけど、そこが大きな問題なんですよね。もちろん、医療ケアを必要な子供もいますよね。呼吸器をつけたりとか。ただ、まず先生と生徒がマンツーマンで子供同士の関係ができるのかどうか…という問題がありますね。私は小中高と養護学校だったんですけど、私たちのときはそうではなかったんですけど、今の在校生や卒業生は同級生に友達がいないんですね。極端な言い方をしますと、私たちの友達と呼ぶのはボランティアのお姉さん、お兄さんなんですよね。障害がない人たちのことですね。考えすぎだろうと思いますけど、もしかすると障害のある子供たち同士が友だちになれない、つまり人間関係を取り結ぶ相手として認識できない状況にあるんじゃないかと感じたりします。これはとても恐ろしいことです。

北川 それを作るのが教員のやり方だよ。

渋谷 今ね、役割を果たしてない教員が多いんだよね。養護学校だと家で子供の世界が完結してしまうんだよね。僕もそうでしたけど家からスクールバスのバス停まで親に送られて、スクールバスで学校に行って終わったらまたスクールバスに乗って帰ってくる。この繰り返しでした。でも、子どもって普通だったら人間関係とか、よくサイゼリヤとかバーミヤンとかのドリンクバーで夕方から中高生がたまっているじゃないですか。それを見るとうらやましいですね。車いすの子がどうしてあの中にいないんだろうと。子供って大人が関わっていないところで成長していくんですよね。ごめんなさい、話がとんじゃったんですけど、金井さんが手伝いをしていた子は、今高校生になるんですけど、中2のときに彼女はクラスメイトたちからシカトされていたようです。それを担任が何も指導しないという状況だったそうです。体育の授業中、プールもそうなんですけど、その学校はプールが屋上で4階まで車イスをあげなければならなかった。で、先生に頼んだら特別扱いできないと言われたんですね。

金井 そうですね。

渋谷 階段の介助を断られたそうです。でも義務教育でカリキュラムに参加することがなぜ特別扱いになるんですかね?

乙幡 学校に余分な枠がないんですよ。気持ちがないというか。教員は刹那的に自分たちの都合で学生指導要領の中で惰性でいく。今言ってた北川さんのように僕もマイクロバスで行って帰るだけの日、面白くないんですよ。小6から中学、高校で他の子は男女と歩くんです。それができない。おかしい。おふくろに送迎してもらうのが嫌になって、道路を平たんにしてもらって電動で走れるようにしてもらった。養護学校の社会勉強は学校の敷地にあるダイドードリンコの自販機があって缶ジュースを買ってくる。そんなことが社会勉強になるのかなって。

渋谷 缶ビールだったらおもしろかったのにね。

乙幡 普通学校のほうが例えば好きな子がいて、しゃべったり、なぐったり、言い合ったりとかしてそれを経験してきた子たちが養護学校にいた。そして僕よりも精神的に強かった。僕は成長期で体の筋肉が硬直していたんで40:1みたいな感じの男女混合でいじめられてきたけど自分らしくいられるのは普通学級だったんだなって。先輩たちと運動をして思ったことはストレートに答えを言う。持ってる答えが違ってもなんだよってなって答えが返ってくる。
返ってこないんですよ、養護学校だと。教員だけの価値観で子供をくくって、それで良しとしている。

渋谷 子供同士の関係ができていないと喧嘩もできない。ということだよね。そんな状況で普通校では機会があるたびに先生から養護学校に行きませんかという説明や説得などの圧力がかかる。そういうことをクリアして普通学校に通わなきゃいけない状況ですね。

来週に続く・・・。


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# by fukushi-kankyou14 | 2012-01-23 15:57 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

超えられたかな!?ジェネレーションギャップ ~NPOインターンシップの報告~

横浜市内のNPOで組織するアクションポート横浜は、市内にある大学と連携して学生がNPO活動を体験する「NPOインターンシップ事業」を行っており、本センターも参加しています。
毎年テーマを決めてディスカッションをしているのですが、私たちの状況や思いを真剣に受け止めてもらっています。
そのディスカッションの模様をお伝えします。
まず今回は特別支援教育についてです。


テーマ:特別支援教育について

渋谷 今日のテーマは特別支援教育というものです。障害者教育、特別支援教育の状況がどうなっているのか、当事者の立場から考えていくときどうなるのかとお話していきたいと思います。

渋谷 今日は北川さんのほうから発表してもらいます。

北川 北川喜裕です。よろしくお願いします。昭和49年のときに中学3年生でした。その年の10月31日付けで親が留年という形で、リハビリテーションセンターとかそういうところを回りました。昭和51年にもう一回中学3年生をやったんです。1977年、昭和52年3月卒業で昭和51年度は養護学校は全然受けてなくて、普通高校を受けたんですけど運悪くというか全部落ちてしまって、それで昭和52年度のときに、ちょっと本屋さんに立ち寄って英会話とか、英語をみてたんですよ。NHKラジオとかを聞き始めてそれから英語に興味が出てきて、そうやって1年間過ごしました。昭和51年度に中学3年をやってたんですよ。まだ授業をしていませんから。昭和52年の10月か11月頃養護学校の試験が一日ありまして、養護学校に行って色々試験などをしてたけど。教員はアテトーゼを知らなくて私に怒鳴り声を浴びせた。私はそれに腹を立て机を前の方に手で飛ばした。

北川 昭和53年度4月は養護学校高等部1年。普通でいくと大学1年なんですよ。私は磯子区に住んでいて、そこから三ツ境養護学校までだいたい1時間半くらい。横浜駅まで送迎バスが来てるんですよね。なんでそんなところまで行かなければならないんだ・・・とね。あとは、教師とか見てて私とは調子が合わない。そんな感じがあって友達を見ててもちょっと合いませんでした。その中で松島君という人で、同じ学年を受けて、彼が数学の勉強がよくできて、すごい優秀で何をやってたかはよくわからないんですけどね。
昭和53年のちょうどそのとき親父と一緒に横浜駅まで、それで親父が健常者の言うことだと思うけど、この震えを止めさせてやりたいということで東京大学の脳外科に行って当時は飯田橋の東京警察病院を紹介してもらった。今は中野かな。そこで定位脳手術を受けることになった。私はどこでも親父と意見が合わなくて反対してたんですけど、何で反対したかというと脳に針を刺して神経を焼くんですよ。焼く代わりに他の神経も焼くというもので英語の友達にもやれやれと言われ私は12月20日に執行したわけで今では足も悪くなった。そういうこともあったし、あと養護学校の中で生徒も教師もはっきり言ってなじめませんでした。高校二年の11月か12月頃からもう学校に行かなくなりました。そして昭和55年6月頃、ちょうどNKKの東後勝明先生という方に今、埼玉に住んでるんですけど、私と両親を呼びまして、高校はいかなくても卒業だけはしとけと、籍だけはおいておけといわれました。

渋谷 なじめなかったとは具体的にはどういうことですか。

北川 そうですね。教師が差別をしているというか、無視するというか、その時の9月か10月頃、担任の教師、3年も2クラスあって、私は2組で1組の教師がうちに来たんです。「おい、北川」といってうちに来たんです。どちらもわかったということで気が合いました。養護学校に行きまして担任の教師が「よ、北川」と言ったんですよ。なぜ、あなたは来なかったの?あなたは担任でしょ?と言ってやりたかった。変な教師だったのでやめました。
やっぱり、昭和55年度、高等部3年のもの全員に卒業してほしかった。というのを考えると煮えきれませんね。当時の校長先生もよい人で、昭和53年9月にかわられちゃったんですけど、北川来なくていいから籍をおいてと、高等部よりも上の教師にめぐまれたというかそういう感じで

渋谷 担任はだめだったけど・・・。

北川 はい、そうです。それで今の現状は隔離とかいうんですかね、身体障害者はみんな普通校に入れなくて養護学校に行くんですが、それが大きな問題ですね。だって18、19になって卒業したら同じ社会で生きるんですよね。結構この問題が大きいと思います。

渋谷 教育基本法にいきますけど、教育基本法、教育機会均等、第四条すべての国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。これが養護学校の支援に結び付いてしまっているというか・・・。国及び地方公共団体は能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学が困難な者、これは経済的ですね。奨学金とか。

北川 義務教育の中、なぜ養護学校へ行かなくてはいけなかったのか、養護学校ではマイナスの面があったけど裏を返せばよい面もあった。というのは、昭和52年、1977年にその2学期に秋季というか9月から11月まで、横浜市の勤労青少年センター野毛に今もあるかないかわからないけれど、英会話の授業があったんですよ。そこに夜お邪魔して通いました。8時か8時半くらいまで勉強をやって、その帰りとか食事をしてそれで色々経済的な話とかしてその当時としてはよかったと思います。私としてはこういう時代があったから乗り越えられたというか、克服できたのかなと実感してます。ジャパンタイムズを使って、英会話というのをとって知らない単語を今は電子辞書とかあるけれど、その当時はなかったからビリビリになるまでやって何十回も書いて覚えましたね。それが今の自分に何らかのプラスになっていると思います。やっぱり分けるのはよくないと思いますよね。

渋谷 小中の普通校の生活はどうだったの?

北川 高校でいじめは特にありませんでしたけれど。

渋谷 養護学校では?

北川 養護学校では友達と話もできたしね。変な先生もいたけれど。養護学校ではなかなかコミュニケーションを取るにしても障害者だから私が一人ぼっちになってしまうんですよ。やっぱり養護学校の雰囲気になじめなかった。本当に高3のときに、高卒、そういうのはいらないと思って中退を決定しましたけれど、校長先生は行かないでいいから卒業だけはしておきなさい。
今の教育っていうのは、全ての障害者というか昭和54年、1979年に五四義務化運動というのがあって、全ての障害者が養護学校に行かなきゃいけない。やっぱり中学でも高校でも卒業して一般のところに出て行かなければなりませんね。やっぱり小さいときから統合教育っていうのを私は賛成。どんなに重くたって、どんなに軽くたってと思いました。
なにか、質問はありますか?

渋谷 養護学校自体は戦前からありました。今世田谷にあるコウメイ、光に明るいって書くんだけれど、光明養護学校、戦前まではそこ1箇所だったそうです。私の知るかぎりでも戦後になって徐々に増え始めますよね。で、昭和54年、1979年義務化されます。都道府県には必ず養護学校を作らなければならないと法律で決められます。かなり活発な運動があったようですが、障害者のところを賛成としたところが多かったそうです。ただ脳性マヒの団体ですね。先程紹介した横田弘ですね。青い芝という脳性マヒの団体で運動を40年続けてきたのですが、青い芝を中心とした強烈な反対運動がありました。それはなぜかというと障害がある子と障害が無い子に分けることにつながるからですよね。その考えは正しいだろうと。それ以前はどうだったと思いますか?
義務教育ですから、親は就学年齢になったら子供を学校に行かせる義務があるわけですね。うらを返すと権利ではないんです。で、どうするかというとその学校の校医が判定によって2年間遅らせることができました。2年までかな?これを就学猶予というんですが、もう一つが校医の判定によってこの子は学校に入学しなくていいですと、親の教育させる義務を免除しますと、これを就学免除といいます。
僕も1年間就学免除を受けていました。あの主体がどこにあるかということですよね。国、実際には教育みたいですけど、学校に行く必要がない判断だとしたら行かなくていいということは、ひねくれて考えてしまうと、国あるいは社会が教育を受ける人とそうでない人を分けてしまうことですよね。つまり教育は義務であっても権利ではないと、現実には一度免除されてしまうとそれを覆すことが出来ない。何年か後に入学を認める学校が出てきても学校に行くことが出来ない。生徒になることが出来ない。そんな歴史がありました。で、そのあと養護学校義務化に近いんですけど、就学免除、就学猶予という制度自体が無くなります。じゃあ今の法律の下で子供たちの教育をどう考えていくというお話をしたいと思います。さきほど、北川さんも触れていましたが、金井さん、第四条を読んでください。教育基本法ですね。

金井 第四条 すべて国民は、等しく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう。教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

渋谷 すごく厳密に読むと、まず全ての国民はと書いています。国民とは日本国に住んでいる日本国籍を持っている人。でも、日本に住んでいる外国籍の人、日本人でも外国籍を持っている人がいますよね。その問題、まず一点ありますね。その能力に応じて、この場合、能力という話。じゃあ障害のある子供たちはどうなるのかと言うことですよね。それと、四条にあるんですけど、最後に教育上差別してはならないと締めくくっているのですが、この前に障害という言葉がないんですね。これは本当に大きな問題だと思います。で、障害児の教育はわざわざ別立てでこう設けているのです。障害者は分けていくんだと教育の中で、ということが行間から読み取れますよね。やっぱりこの2行は外して、「教育上差別してはならない」の中に「障害」を入れるべきだと思いますね。


来週に続く・・・。

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# by fukushi-kankyou14 | 2012-01-16 13:47 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

2011湘南国際マラソン日記

11月3日は第6回湘南国際マラソンに参加しました。気温が思っていたほど上がらなくて少し心地よく走れて良かったです。前半20K位までは1K5分30秒ペースと調子よく走れたのですが、いつもよりも早いペースなので気をつけないと後半がもたないと感じました。後半戦に突入した25K位でトイレに行きたくなりトイレに駆けこみました。簡易の和式トイレのため大をしたい気持ちはあったのですが、ここで座ってしまってはふくらはぎが吊りそうな予感がしたため、大を我慢して小をしました。小をしてるときに大がしたくなるのですがここは我慢。これがかなり辛い。この気持ち男だったらわかるかな?トイレに5分位のロス。30K位になると体も徐々に疲れはじめふくらはぎも吊りそうになってきた。仕方なくふくらはぎが吊るのを防ぐ薬を飲んだ。気をまぎらわそうと私がファンであるシンガーソングライターの優月さんの曲を聴き元気と勇気をもらいながら走った。
何度か歩きたいと思ったのですが、給水場では少しストレッチをしながら休みましたが歩きませんでした。最後のゴールは倒れそうになりながら何とか完走しました。タイムは4時間27分でした。とても疲れました。
もうフルマラソンを走るのは限界かもしれません。

# by fukushi-kankyou14 | 2011-11-16 13:38 | Trackback | Comments(0)

桜木町へのバス通勤。


今までは、ほとんど乗っていなかったバス。それまではバス通りもバス停も僕の生活空間からは遠い存在だった。ところが、当センターに通う手段として最短の時間でアクセスできるのは何かを探していた。その結果、途中までバスを使うのが好都合であることをいろいろと試した末発見した。乗り慣れてくるとバスは実に快適である。
バス停での待ち時間、流れ行く車の列にぼんやりと目をやりながらそのバスが来るのを待つのもだいぶ慣れてきた。バスから眺める横浜の風景は電動車椅子からの視線とは異なり、幾分高さの面で違いがある。その違いが心地よく感じられるところにバスの良さがある。乗ってみて初めて気づいた点だ。それに乗り慣れると本当に楽だ。これまでの気苦労はなんだったのかと考えてしまう。
そもそもバスに乗る一つの大きなきっかけとなったのは隣の人の影響が強い。僕は音楽が好きなので話の話題は自然とその方面に傾きかける。しかし隣の人はバスが大好きな人でその方面には詳しい人だ。
ところで、バスを題材にして恋の一場面を綴った歌がようやく身近に感じられるようになってきた。甲斐バンドのデビュー曲や浜田省吾のあの曲や、ゆずのあの曲など、ほかにもいろいろあるのだろう。
バスと言えば、車内広告がどこか気になる。なぜ気になるのかを辿っていくとどうやらCDの宣伝に効果的ではないかという個人的理由からだ。通常、同じ時間帯にそのバスを使う人はほぼ同じ顔ぶれがメインとなる。そうであれば知らず知らずに顔馴染みが一人二人と増えてくる。と、なると案外効果があるように思うのだが、どんなものだろうか。

ということで、この流れで自主制作盤CDの宣伝を。
ハタアキオ入魂の一枚。CD「新しいいのちの歌」3曲入り税込500円。お問い合わせは当センター畑まで。
また、あさって28日金曜日には日比谷公園野音にて、そう、あの伝説の野音にてCDの移動販売を計画中。当日顔を合わせる機会がある方々、お会いできることを楽しみにしております。

畑 章夫

# by fukushi-kankyou14 | 2011-10-26 16:18 | ノロからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

マラソンシーズン到来

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最近いつの間にかセミの泣き声が聞こえなくなり朝夕はとても涼しくすごしやすくなってきました。私は特に朝ジョギングをするので季節の変わり目は敏感に感じます。走る方も気持ちよく走れて最近は調子よく走れております。
来月から来年の5月まではマラソンシーズンに突入いたします。この時期は毎年月2~3はマラソン大会に出場しております。今年のメインは11月3日に行なわれる湘南国際マラソンのフルマラソンです。このコースの一部は箱根駅伝のコースにもなっていて人気のマラソン大会です。大磯ロングビーチをスタートして江ノ島までの往路コースで海岸道路を走ります。普段は車の交通量も多いのですがマラソン大会の日だけは人で道があふれます。制限時間も6時間なので比較的走りやすくなっています。
私の目標は4時間30分なのですが、その時間で走れるのは現状の体を考えると不安です。
なんとか4時間30分で走れるようにあと大会まで一ヶ月ですが、頑張ってトレーニングしようかと思います。

南舘

# by fukushi-kankyou14 | 2011-10-12 14:39 | ノロからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

バリアフリーフェア2011のこと

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9/17-18の土日にかけ「バリアフリーフェア2011」が開催された。ワールドポーターズ6Fの奥の方にあるNPOスクエアを中心に企画されたオープン・キャンパスのような場と考えればそのイメージが伝わるかと思う。
さて、今回の特別企画は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」だ。何も見えない真っ暗闇の中で何組かに分かれ、それぞれのグループで二人ずつペアになり、暗闇で日常の何気ない動作を体験してもらうという趣旨。何かの道具を使いながら丸太を歩いたり、アイスクリームをもう一人に食べさせてあげる体験や、光るボールをグループ内で隣に渡していくゲームなどの体験が行なわれたという。参加者の感想は、いかに日常生活の中で視覚に頼っているかということを再確認したということ。視覚障害者の人たちの気持ちに寄り添う小さな体験を集めた新しい発想のエンターテイメントだ。キャンセル待ちが出るほどの大盛況で二日間を終えたようだ。
さて、当センターとの関わりでは、二日目の昼前後に二階特設ステージを会場に行なわれた「車いすお買い物ラリー」がある。二人一組で、五組十名を二回行なうことができた。事前予約を含め、参加者はすぐに集まった。ワールドポーターズではインポートマートさんによる「車いす研修」が月一度行なわれていて、バリアフリーな建物という点だけにとどまらずに、社員研修の一環としての取り組みをしている。当センターはその研修にアドバイザーとして参加させていただいている。車いすでのお買い物体験で車いすユーザーの視点を初めて知った参加者からは、普段は気づかないいろいろな点についての生のコメントが寄せられた。当日は日曜ということもあり、お客さんがたくさんいる中での車いす体験と
なり、より現実味を味わってもらえたのではないか。子どもから大人まで幅広い層に参加してもらえたことは大きな収穫ではないだろうか。ステージでは車いすユーザーである当事者がコメンテーターとしてトークしたらしい。細かい点ではあるが、ステージに上がるための段差解消のための昇降機は車いすユーザーなら見逃せない心配りだ。
最後に、今回一番印象に残ったことを一つ。
昨年の今頃の気候は、すでに秋に突入していた感じがする。今年はというと、まだ残暑が厳しい日々が続いている。もう九月も残りわずかのこの時期にである。当センターの隣のブースは二日目は「三浦の有機野菜」コーナーだった。おそらく今回参加された団体の中で一番の元気印ではなかったか。野菜を食べているから元気なのか、それとも三浦という土地柄が元気なのか。NPOスクエアの存在も、その中の一つである当センターの役割も、詰め合わされた野菜の一つ一つのように、そんなに頑張らなくても、自然な形で誰かに元気を届ける働きができればと思う。
ということで、火曜日にその野菜たちで炒め物を作ってもらった。だから、今日も元気だ、ごはんがうまい。

畑 章夫


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# by fukushi-kankyou14 | 2011-09-23 13:08 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

2大福祉イベント

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こんにちわ

まだまだ暑い日が続いていますね
来週のお彼岸には、暑さが和らぐんですかね?

毎年、この季節になると福祉のイベントが続きます。
続くと言っても、2つですが・・・

まずは、今週末17(土)・18(日)10:30~19:00(18(日)は17:00まで)当センターの事務所がある横浜ワールドポーターズ6Fにて毎年恒例のバリアフリーフェア2011が開催されます。
今年の目玉は、18(日)11:30~車いす体験イベントがあり、実際に車いすに乗りワールドポーターズ内のお店を周りお買い物を体験できるイベントです。ぜひこの機会に車いす体験をしてみては?
他にも手話によるミニライブや特別講演等色々なイベントがあります。
今週末お時間がある方は、ぜひワールドポーターズへ足を運んでみては。

バリアフリーフェア2011コチラ


続いて、来月5(水)~7(金)の10:00~17:00 東京ビッグサイトにて国際福祉機器展が開催されます。
こちらは、色々な福祉の物が展示されていて実際に触れる事ができます。
かなり規模は、大きいです。

国際福祉機器展コチラ


お時間があり少しでも興味がある方は、ぜひこの2大福祉イベントに足を運んでみては。

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# by fukushi-kankyou14 | 2011-09-12 12:32 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)

1974 年8月 20日

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1974年8月20日の涙。

あの日、僕は泣いていた。おそらく、それ以前には考えられないほど泣いて、泣いて、泣いたのを記憶している。当時、7才。あの夏の日は決して忘れられない。
その日、目的地の盛岡に着いた。正確には旧都南村になる。夕方近くになり、母は僕を置いて家に帰って行った。家までは車で片道三時間半はかかる。まんが日本昔話にでてくるような田舎の山道を越えて行く。そこら辺には、いつ「やまんば」が出てきてもおかしくない風景が広がっている。母は僕を残して帰って行った。一緒に帰りたくて、泣いたのだと思う。この日が施設に入所した第一日目となる。

先日、何気なく「ちびまる子ちゃん」を見た。いつも思うのだが、まるちゃんの時代設定はちょうど自分の子ども時代と重なっているので、子どもの頃を思い出すことに何の違和感もない。この前、再婚した加藤茶の人気絶頂の時が僕の子どもの頃と重なるのだ。子どもの頃に好きだった食べ物は今でも好きなことが多い。僕は小さい頃、牛乳が嫌いだった。その頃の言い訳なのか、口癖なのか「僕はコーヒー牛乳じゃないと飲めない」とよく言っていたものだ。今でもコーヒー牛乳は大好きだ。カフェ・オレを飲みながら「これはコーヒー牛乳だろう」と心の中で静かにつぶやいている。そういえば、あの「水戸黄門」は、ついに終わるらしい。その主題歌は、どことなく人生の何たるかを教えてくれていたが、そ
の曲とキッスの「ラブ・ガン」が今でも頭の中でリンクしてくるのはどうしてだろう。キッス関連でもう一つ。エース・フレーリーのソロ作は今聞いてもその輝きは色あせていない。この作品を初めて聞いたのはなんと10才ぐらい。これがハード・ロック初体験。

ところで、話を戻しますが、あの日の涙は自分にとっては「親離れ」の涙となった。それに対して母の方は最期まで子離れはできなかったようだ。母の口癖は「お前はいつまで経ってもオレの子どもだ」というものだった。その母が亡くなり、早いものでもう三年が過ぎたが、考えてみればあの夏の日に、胸が引き裂かれるほど辛かったのは母の方ではなかったか。そう思えるようになるまでは少々時間がかかったが、思い起こせば、生涯で母と一緒に過ごしたのは施設に入る前の七年と、24才まで続く施設生活の中での夏冬の一時帰省の間だけのわずかな期間しかない。今となっては母が亡くなる前年に久しぶりに盛岡に帰って、そこで顔を合わせたのが最後になってしまった。子としては、多少嫌々ながら定期
的にかかってきた母からの電話。今にして思えば、その電話がもう決してかかってはこないのだからやはり寂しさはある。しかし、小さい頃のあの日に親離れしてしまったことを考えれば、母の方がよっぽど寂しかったのかもしれないとも思う。
最近のことで、しっかり泣いたのはいつだったろうか。

最後にお知らせを。9/17土-18日、「バリアフリーフェア2011」開催。横浜ワールドポーターズへ、ぜひお越しください。詳しくは「バリアフリーフェア2011」で検索を。

畑 章夫


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# by fukushi-kankyou14 | 2011-09-09 15:35 | センターからのお知らせ | Trackback | Comments(0)
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この法人は、障害当事者が中心となり、当事者の立場から、地域での自立生活を支援するための事業を総合的に展開することにより、障害者の自立生活を確立することを目的とする。毎週月曜更新。


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